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鞍川
【くらかわ】


旧国名:越中

上庄(かみしよう)川下流南岸に位置し,河畔に広い平野を有す。南方には朝日山・鞍川(くらかわ)山の丘陵が連なる。集落は表出・裏出・横羽毛(よこはげ)・沖布(おきぬの)・大野新(旧大野新村の出村で紅谷(べにだに)ともいう)の5垣内(かいと)に分かれる。地名は「平家物語」寿永2年5月,越中礪波(となみ)山で平家軍を破った木曽義仲が,能登志保(しほ)山の平家軍を追討のため,氷見湊(ひみみなと)を渡る時,水の深浅を知るために鞍置馬10頭余を追い入れたと故事に由来するという俗説がある。しかし氷見湊と鞍川とは1km以上離れており,この説は疑わしい。朝日山丘陵の山麓,有磯高校校庭(寺田・光明寺干場)に縄文遺跡があったが,第2次大戦後校庭拡張の際に破壊された。沖布の南方の丘陵中腹,および当地北部金谷の畑地に,弥生後期から古墳時代初期にかけての土器散布地がある。室町期から戦国期にかけて,当地は越中守護神保長誠の家臣鞍川氏が支配していた。明応2年,将軍足利義稙が長誠のもとに身を寄せていたが,同6年6月,鞍川兵庫助は長誠の命を受け上京し,義稙の将軍復位のため奔走した(大乗院寺社雑事記/越中史料1)。その後も鞍川氏は氷見地方の有力国人として,また能登守護畠山氏の重臣として,天文年間に至るまでその名が合戦記などに見える(三州志・氷見市史)。鞍川氏の居館は,鞍川山北麓の城屋敷と推定される。
鞍川村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
鞍川(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7081195