博労畳町
【ばくろうたたみちょう】

旧国名:越中
(近世~近代)江戸期~明治37年の町名。馬喰骨町とも書き,高岡博労畳町とも称した。高岡町本町三十五町の1つ(高岡町図之弁/高岡市史)。加賀藩領。慶長14~19年は高岡城下のうち。高岡古城の西南部に位置する。当町は礪波(となみ)郡の戸出・徳市,射水(いみず)郡石丸などから馬喰7軒が移住しててきた馬喰町と氷見(ひみ)荘から久津呂屋与平・白川屋助十郎・柳田屋清八などが移住し,畳屋をはじめてできた畳町とが合併して成立し,博労畳町と称した(高岡市史)。警備のための木戸が町の入口に設けられていた。天明6年制札場が利屋町から通町の正面に当たる当町の入口に移されたが,文久2年橋番町へ移転。天明5年の家数87,明治5年の戸数129(同前)。明治4年加賀藩が極楽寺内に金沢病院出張所を設置したが,廃藩置県後廃止。明治11年越中教校が新築され,片原横町境内から移転し,その洋式建築は付近の話題を呼んだという。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同17年村落戸籍編入により26戸を鴨島(かもじま)村,1戸を下黒田村に送籍したが,同22年復籍。同年高岡市博労畳町となる。明治32年高岡簡易商業学校が油町尋常小学校より真宗東派教校へ移り,市立高岡甲種商業学校と改称。翌33年油町の新築校舎へ移る。同34年博労町尋常小学校創立,横田町尋常小学校の一部を仮校舎とし,白銀後(しろがねご)町禅憧寺内に分教室を設定した。翌35年隣接する佐野村大字鴨嶋に独立校舎竣工。同37年博労町と改称。現行の高岡市博労町・博労本町のうち。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7083647 |





