得南名
【とくなみのみょう】

旧国名:加賀
(中世)鎌倉期~南北朝期に見える名田名。加賀国能美(のみ)郡得橋郷のうち。徳治3年7月19日の後宇多法皇の院宣により,益延(ますのぶ)名・長恒(ながつね)名とともに南禅寺に寄進されたのが初見で,延慶2年6月10日には伏見上皇によって安堵された。延慶2年6月20日の「加賀国得橋郷并笠間東保等内検帳案」によれば,定田が8町5反10代で,分米76石3斗2升,請䉼銭8貫480文であった。次いで正和元年11月29日に再び伏見上皇により,また元徳2年7月17日には後醍醐天皇によりそれぞれ同寺領として安堵された。建武2年4月22日には太政官符が下され,当名等の南禅寺領が一円不輸の地となったが,翌3年2月7日,地侍と思われる建部頼春が当名などの本領安堵を足利尊氏に願い出ている。この願いが聞き入れられたか否か,詳細は不明であるが,同年11月27日に光厳上皇により,さらに正平7年2月17日には後村上天皇により,それぞれ南禅寺寺領として安堵されている。その後,貞治3年12月26日,足利義詮により,建武2年4月22日の太政官符のとおり,当名以下の南禅寺領への国司・諸司等の入部が停止され,諸役が免除された。なお,貞治6年10月2日には,後光厳上皇によって,伊勢太神宮役夫工米・御禊・大嘗会などの勅役・院役も免除されている(以上南禅寺文書)。現在の小松市北端部付近に比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7088524 |





