三万谷
【さんまんだに】

旧国名:越前
一乗城山北麓,足羽(あすわ)川支流三万谷川(田尻川)上流の谷奥に位置する。谷は3方向に分かれており,集落も東・西・上の3垣内からなる。地名の由来は,三方が谷であることと,谷数の多いことによるという(美山町史)。朝倉氏の本拠地一乗谷への搦手道にあたったといわれ,同氏にちなむ遺跡・伝承が数多くある。上垣内西方の字卵塔からは,応永26年・文明16年・永正2年などの銘を有する五輪塔が数多く発見され,朝倉氏の菩提寺天沢寺跡と思われる。また,字卵塔に朝倉氏出身で京都大覚寺47世一休宗純の弟子となった祖心紹越が創建した(永正12年以前)深岳寺があったと推定されている。西垣内後方には,馬場跡といわれる地や,一乗谷城へ通じる山坂(一乗坂)には馬を放ち草をはませたという通称馬の食草があり,上垣内東南方には櫓があったという(足羽郡誌)。天正2年正月,富田氏に敗れた前波氏の妻子が隠遁先のこの地で殺害されたという。
【三万谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【三万谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7092784 |





