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福井平野
【ふくいへいや】


越前平野ともいう。嶺北の中央西寄りにある県下最大の平野。県人口の6割以上を集めて,経済活動が最も活発である。越前平野は旧越前国を代表する平野の意であり,福井平野は最大の中心都市の名を冠したもの。東の加越山地・越前中央山地と西の丹生(にう)山地の間の沈降性の低地へ,九頭竜川と支流の足羽(あすわ)川・日野川が周囲の山地から土砂を運び込んで埋め立てた沖積平野で,南北約40km・東西の幅約10~15kmと南北に長い。全体として一続きの平野であるが,地元では一般に文殊山(福井市・鯖江市)―城山(福井市)―三方丘陵(丹生郡清水町)の狭隘部以南を武生(たけふ)盆地,福井市北部を東西に流れる九頭竜川以北を坂井平野,両者の中間を狭義の福井平野と呼んで区別している。坂井平野と狭義の福井平野の境界は便宜的なもので,人文的にはもとより,地形的にも何ら意味のあるものではない。武生盆地は主として南の南条山地から流下する日野川によって埋め立てられた。盆地内に散在する多くの分離丘陵,出入りの複雑な山麓線や急に平坦地に移る山脚など沈降地形の特長が著しい。盆地床は最低部でも標高10mとやや高いが,下流の狭隘部が排水を妨げ低湿である。南端の扇状地性堆積地に武生市街が立地する。畿内に最も近く,古代に越前国府が置かれたところで,付近は最も早く開発が進んだ。武生の打刃物,今立の和紙の伝統工業も経済・文化の先進性を抜きにしては考えられない。中世にも府中には守護所があり,近世には福井藩筆頭家老本多氏の城下兼宿場町として引き継がれ,今日も福井平野南部の一中心として,独自に広い商圏を保っている。盆地の北部中央を南北に連なる丘陵群とその周囲の河岸段丘状の台地に鯖江市街が立地する。武生から北進する北陸道の日野川渡河点を控えた要地で,中世誠照寺の門前町に始まって,近世末には間部氏5万石の城下町となり,明治末以来軍事都市として発展した。今は眼鏡枠と機業が盛んで,福井市への通勤者の住宅都市の性格も増している。東部山麓の河和田には漆器の伝統産業がある。狭義の福井平野は主として足羽川によって埋め立てられた。足羽川は谷口に狭い扇状地性堆積地をもつのみで,標高10m以下の低地が広く,北を九頭竜川の堆積地に抑えられて排水不良である。特に屈曲する支流荒川の流路(今では一部人工の直線流路に改変されている)は九頭竜・足羽川間に埋め残された低湿地を示している。平野の南縁も足羽川自身の堆積に抑えられて排水不良で,旧浅水(あそうず)川・江端川流域は長雨が降るときまって浸水する。足羽山・八幡山などの分離丘陵はここでも沈降地形を示している。中央に位置する福井市は足羽山北麓に中世末に都市的集落が芽生え,近世初め足羽川右岸の自然堤防に城下町北ノ庄が築かれた。慶長5年結城秀康が越前大守として入部,城と城下町を拡張・整備して以来,武生をしのぎ最大の中心として発展した。坂井平野は主に九頭竜川の埋立てによるが,鳴鹿を谷口とする扇状地は小さく緩傾斜で,大部分は標高5m以下の低地であり,特に西岸の川西地区や北の竹田川合流点付近は低湿である。平野に出てほぼ一直線に西へ向かう九頭竜川の現流路は基盤の傾斜によると思われるが,かつては谷口から北西方へ幾筋にも分かれて乱流したものとみえ,低地の中に低い自然堤防が何条もあり,その上に古い農業集落が立地する。平安末期にさかのぼる平野の灌漑幹線(十郷用水)も旧流路の一つを利用し,自然の勾配を利用して周囲への分水・配水を容易にしている。北を加越台地,西を三里浜砂丘に遮られて,九頭竜河口は狭隘であるため,平野の低湿性は一層強められている。平野の縁辺には丸岡・金津・三国などの町が立地するが,中心的な都市の発展はみられない。平野の沖積層の厚さは福井市付近で地下50~60m,坂井平野南部で100mを超すが,武生盆地では約10mに過ぎず,昭和23年の福井大地震の時に,福井平野以北は大半が90%以上,武生盆地は同じく10%以下という家屋倒壊率の差となって表れた。全域が豊かな早場米の水田地帯で,特に坂井平野は県下一の穀倉である。しかし,冬の積雪と湿田(耕地改良と暗渠排水で今ではほぼ乾田化されている)のため米の単作地であり,冬季の余剰労働力が古くからさまざまの農産加工や家内工業を生み,明治以後の機業や眼鏡枠工業の発展の素地となった。両者は本質的に労働集約的な工業で,単作農村を指向する点で共通する。近年は農業機械の普及で第2種兼業農家の比率が圧倒的に高くなっているが,昭和30年代後半から農村に進出するニット・弱電機器などの工場が次第に目立ってきている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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