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国道
【こくどう】


 国道20号 東京都中央区を起点に,本県を横断し,長野県塩尻市に至る一般国道。韮崎(にらさき)~竜王間は国道52号と重用する。総延長225km,県内延長100.4km。道筋はかつての甲州街道に当たる。国道指定は明治9年であるが,それ以前の明治6年に県令藤村紫朗の発した道路開通告示により,生糸・織物・ブドウなどの商品輸送路として,本格的な改修工事を受けた。しかし,工事に際して県民に課せられた費用と労働力の負担は大きく,あわせて強引な土地収用が行われたため,農民の反対運動も起こった。明治18年には国道16号に編入されたが,同36年に八王子~甲府間に中央線が開通すると往来は激減し,道筋の村々も衰退した。昭和4年には一部ルートを変え,大月から都留(つる)―富士吉田―船津―御坂(みさか)峠―甲府を経て長野に至り,名称も国道8号となったが,石和(いさわ)~大月間は県道に降格された。それまで,船津~黒駒間に位置する御坂峠は人馬の往来も困難であったが,同7年には改良工事を終え,商品輸送時間の短縮や諸費用の節約など,広範囲に及ぶ経済効果を生んだ。これにより東京・静岡方面への自動車輸送は活発化し,鉄道と並んで本県の産業・経済の幹線として注目を受けた。しかし,同27年の道路法の改定では,甲府と首都圏を最短距離で結ぶ,かつての甲州街道に沿ったコースが1級国道20号として指定され,同33年には,難所の笹子峠にトンネルが開通した。新笹子トンネルは総工費12億8,500万円・延長6,442m・有効幅員6mで,東山梨郡大和村黒野田~大月市笹子間は,同46年まで笹子トンネル有料道路となった。その結果,本県は首都圏と直結し,盆地東部を中心に果樹を主力とした商品農業の一層の発展をみる。同47年には一般国道20号と改称され,同57年に中央自動車道が全線開通するまで,文字どおり本県経済の大動脈として大きな役割を果たしてきた。その間,交通の混雑緩和を目的にバイパス工事が進められ,竜王バイパス・韮崎バイパス・甲府バイパス・勝沼バイパス・双葉バイパスが完成している。 国道52号 静岡県清水市から富士川沿岸を北上し,韮崎市を経て甲府市に至る一般国道。韮崎~竜王間は国道20号と重用する。総延長93.1km,重用部分を除く県内延長73.7km。韮崎~鰍沢(かじかざわ)間はかつての駿信往還に,鰍沢以南は駿州往還(河内路)に当たる。明治中期頃までは身延山の参詣路として,また富士川水運で栄えた河内地方諸村を結ぶ幹線道路として発達し,明治24年に県道に指定された。大正9年に早川吊橋が完成。鰍沢~身延間の交通が容易となり,同12年には乗合自動車が運行したが,昭和3年に富士身延鉄道が全通して往来は激減した。その後,昭和28年に2級国道清水甲府線に昇格し,同39年,清水と上田(長野県)を結んで一般国道141号となった。このうち清水~韮崎間が翌40年に分離され,韮崎~甲府間を加えて国道52号が誕生した。本県・長野県と静岡をはじめとする東海地方を結ぶ動脈として,産業および住民生活上重要な路線であり,これに沿った高速道路建設構想も話題にのぼっている。現在,増穂~櫛形間並びに南部町内にバイパスを建設中。 国道137号 御坂峠を介して富士北麓地方と国中(くになか)を結ぶ一般国道。富士吉田市を起点に,南都留郡河口湖町・東八代(ひがしやつしろ)郡御坂町を経て終点東八代郡石和町に至る。総延長42.1km,かつての鎌倉街道の一部が整備され,大正9年県道甲府静岡線に編入,昭和4年国道8号と指定。昭和5年から翌6年にかけて御坂峠新道開削により本県唯一の本格的自動車道となり,県内交通路に一大変革をもたらした。昭和28年国道の全面改正により,2級国道137号富士吉田甲府線となり,昭和40年国道137号と改称された。当道の御坂トンネルは,長さ394m・幅員3.5m・高さ3.9mである。元来当道は国中と富士北麓を結ぶ動脈路線であるが,御坂峠越えが難所であったため昭和42年,富士北麓開発推進の一環として県営御坂有料トンネルが開設され,県営第2番目の有料道路,御坂トンネル有料道路(県道河口湖御坂線)が開通した。当道が東へ大きく迂回するのに対して,有料道路は直線で当道を結ぶため国中~富士北麓の所要時間は大幅に短縮された。昭和57年中央自動車道の全線開通にともない,一宮御坂インターチェンジと国道20号坪井ミニインターチェンジとの間に連結路が当道のバイパスとして新設され,将来下黒駒(御坂町)まで延長される計画である。 国道138号 籠坂峠越えで本県富士北麓と静岡県および神奈川県を結ぶ一般国道。起点は富士吉田市で,南都留郡山中湖村―静岡県御殿場市―神奈川県箱根町を経て終点神奈川県小田原市に至る。総延長59.1km,県内分14.2km。旧鎌倉街道の一部を改修したもの。大正9年県道吉田御殿場線となり,昭和28年2級国道138号富士吉田小田原線と指定,昭和40年国道138号となった。国道137号に接続し,甲府盆地と東海地方を結ぶ重要な路線であるとともに自衛隊北富士演習場(本県側)および東富士演習場(静岡県側)付近を通過するため,軍事的な側面での重要性も備えている。 国道139号 富士北麓を迂回し,大月市と静岡県富士市を結ぶ一般国道。富士市を起点に,富士宮市(静岡県)―西八代郡上九一色(かみくいしき)村―南都留郡鳴沢村―同郡勝山村―同郡河口湖町―富士吉田市―都留市を経て,終点大月市に至る。総延長150.6km,県内分47.3km。富士吉田~大月間は,かつての谷村路を整備し,昭和4年国道8号に指定される。また富士吉田~上九一色村精進(しようじ)間は,大正13年県道吉田精進湖線に認定,整備される。昭和28年2級国道139号(吉原大月線)となり,昭和40年国道139号となった。昭和37年郡内の経済・文化の発展,富士北麓を中心とした観光開発の推進のために中央自動車道富士吉田線が着工,昭和44年3月開通したが,予想される交通渋滞に備え,同年横町バイパス(富士吉田市下吉田金鳥居~富士スバルライン交差点間)が開通し,河口湖インターチェンジで中央自動車道と連結する。つづいて昭和48年河口湖バイパス(富士山有料道路と横町バイパスの交差点から鳴沢村大田和間)が開通した。 国道140号 甲府市と埼玉県熊谷市を結ぶ一般国道。県内ルートは甲府市から東八代郡石和町―東山梨郡春日居町―山梨市―塩山市―東山梨郡牧丘町を経て同郡三富村に至るが,県境の雁坂峠付近約9kmは通行不能となっている。総延長150.6km,うち県内延長49km。道筋はかつての秩父往還(雁坂口)に当たる。明治以降開発整備されて県道甲府秩父線となり,東山梨郡一帯と甲府を結ぶ幹線道路として発達した。その後,昭和28年に2級国道甲府熊谷線に指定され,同40年に現在の名称となる。牧丘町以北は笛吹川に沿って秩父山地の谷間を進む険路で,崖崩れや路肩の流失も多く,改修が続けられている。 国道141号 八ケ岳東麓を抜け韮崎市と長野県上田市を結ぶ一般国道。韮崎市を起点に,長野県の小海町―佐久市―小諸市を経て終点上田市に至る。総延長101.9km,県内分40.9km。元来佐久往還の一部を整備した道路で,大正9年の道路法により県道甲府長野線に認定され,昭和28年2級国道清水上田線に指定され,昭和40年国道141号となった。昭和51年中央自動車道の韮崎~小淵沢間が開通し,須玉インターチェンジで連結する。バイパス建設では,昭和52年須玉バイパス(桐の木~小手指間)が完成し,若神子(わかみこ)宿中の交通混雑が解消された。それに先がけて長沢から清里に抜ける間,弘法坂の難所を避け,昭和48年バイパスが建設された。当道は,佐久市から本県に通じる重要な道路であるが,近年,清里を中心に八ケ岳東南麓が観光地として一躍にぎわいをみせ,観光道路としても多く利用される。シーズン中および日曜・祭日の交通量の増加が著しく,交通対策が課題となっている。 国道300号 南巨摩郡身延町・西八代郡下部(しもべ)町と富士山麓の観光地を結ぶ一般国道。起点は富士吉田市,終点は身延町であるが,富士吉田~本栖(西八代郡上九一色村)間は国道139号と重用する。重用部分を除いた延長は26.3km。昭和8年に吉田身延線として県道に編入され,同25年には吉田~常葉(ときわ)間に乗合自動車が運行した。同39年県道中富本栖線に指定され,同45年に昇格して国道300号となる。道幅が狭い上,急カーブも多く,同49年まで改良整備が続けられた。その後,観光客や砂利を運ぶ車両の通行が増加し,北口~出口間にバイパスが建設された。 国道358号 甲府と富士五湖地方を結ぶ一般国道。甲府市から東八代郡中道(なかみち)町を経て,西八代郡上九一色村精進で国道139号に合流する。延長25km。道筋はかつての中道往還に当たり,昭和36年から同43年にかけて整備して,県道甲府精進湖線とした。同48年,右左口(うばぐち)(中道町)~精進(上九一色村)間に甲府精進湖有料道路が開通して県道となり,翌49年に国道に昇格。有料道路はA区間(右左口~梯(かけはし))とB区間(古関~精進)からなり,難所の右左口峠と阿難坂にはトンネルを設けた。同55年には下曽根橋~新平和通り間に4車線道路が全通し,交通混雑の緩和に大きな役割を果たしている。 国道411号 県東部塩山方面と東京奥多摩方面を結ぶ一般国道。起点は東京都八王子市で,青梅市(東京都)―塩山市―山梨市―東八代郡石和町を経て終点甲府市に至る。石和町山崎三叉路~甲府間は国道140号と重用。総延長94.1km,県内分は59.1km。かつての青梅街道(甲州裏街道)が整備され,明治11年従来の大菩薩峠越えから柳沢峠越えにルート変更,名称も青梅街道となり,大正9年県道に認定,昭和34年県道甲府青梅線となる。昭和46年酒折~塩山間が旧甲州街道の石和,等々力(とどろき)(東山梨郡勝沼町)経由にルート変更,この間,道路の改修も進み,昭和55年全線舗装となり,昭和57年国道411号に昇格した。かつて大菩薩峠を挟み塩山・丹波は相互に交流が活発で,物資の輸送が盛んに行われたが,昭和32年小河内ダムの完成を契機に丹波は東京側との結びつきが強まり,当道は丹波の住民の東京方面への重要な通路となった。当道の主要部分が大菩薩山系,奥多摩の山間部を通過しているため,奥多摩の自然を求める観光客でシーズン中はにぎわうが,冬季の通行は厳しく,しばしば交通が遮断される。 国道413号 富士吉田市を起点に,南都留郡山中湖村・道志(どうし)村を経て神奈川県厚木市に至る一般国道。富士吉田~山中湖間は国道138号と重用する。総延長48.7km,重用部分を除く県内延長33km。途中,道志~津久井間は道志川に沿った険路で,カーブも多い。大正9年,都留と中野(神奈川県)を結んで県道谷村中野線となり,昭和14年には谷村~山中間を分離して山中中野線と改称した。その後,同46年に県道津久井山中湖線に指定され,同57年に国道に昇格して現在の名称となる。




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「角川日本地名大辞典」
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