釈迦堂遺跡群
【しゃかどういせきぐん】

縄文時代を中心とする先土器時代~平安期の遺跡群。東山梨郡勝沼町藤井と東八代(ひがしやつしろ)郡一宮町千米寺に所在。西から一宮町管内の塚越北A地区・塚越北B地区,そして勝沼町管内の三口神平地区,釈迦堂地区,一宮町の飛地である野呂原地区の5遺跡からなり,京戸川扇状地に展開された34か所の遺跡のうちの4か所である。調査区域は標高450m前後である。発掘調査は中央自動車道建設に伴う事前調査として,昭和55年2月8日から翌56年11月15日まで,県教育委員会が実施し,調査面積は約2万m(^2)に達する。遺物の出土量も富豊で,年代的にも先土器時代,縄文時代早期~後期の各時期,古墳時代,平安期に及ぶ。塚越北A地区では,先土器時代の包含層を調査し,ナイフ形石器・スクレーパー・ブレイド・ドリルと剥片多数を検出した。すべて黒曜石製。縄文時代早期は神之木台期を中心とする集落址で,住居址25軒を調査した。住居址の大きさは長軸約5m,短軸約3.5mの楕円形をなし,柱穴5~6本で,地床炉をもつ。土器は神之木台式の基本的なモチーフのほかに,隆帯がわらび手状にループするものがあり,1つの地域的特色を示し,神之木台式土器の1つのバリエーションと思われる。石器は礫器・磨石・綾磨石を主体として,石鏃には黒曜石製と水晶製がある。神之木台期に限ってみれば,黒曜石フレイクよりも水晶フレイクの割合が高い。縄文前期は19軒の住居址と土壙数基を調査した。黒浜式併行期,諸磯a・b期の各期に属するものである。黒浜式併行土器は関東地方の黒浜式の新しい部分に併行する地域的な土器である。全縄文の深鉢形土器を主体とし,まれに波状口縁から垂下する有刻隆帯および縄文地に半截竹管で文様を施すものがある。類例は長野県の阿久遺跡・十二ノ后遺跡にみられる。伴出土器は黒浜式の新しい部分,北白川下層Ⅱa・b式である。なお,この時期の土偶が8点,5個体分出土している。石器では早期と違って打製石斧が出現し,匙が多用されている。玦状耳飾などの装飾品が多い。縄文時代中期では五領ケ台期の住居址1軒のほかは,藤内期の住居址8軒で,典型的な中期中葉の集落址である。中央部広場と思われる部分には土壙群が集中し,249基を数える。その大多数が藤内期のもので,藤内特殊遺構と類似した出土状態を示している。土偶は約50点を数え,1つの小さな集落址としては多い数といえよう。縄文時代後期は敷石遺構3基と広範な土器の分布があった。古墳は千米寺・石古墳群の一角を占めるものと思われ,周溝外縁径約24mを測る。盛土はほとんど削平されていたが,葺石を調査することができた。石室は南を開口部とし,前庭部はよく残っていた。石室の側壁の石はほとんど取られていたが,長さ約750cm,幅約120cmの無袖式であったと思われる。遺物は周溝から鉄鏃50本,須恵器の甑・瓶・大甕などが出土し,7世紀末築造の古墳と推定される。塚越北B地区では,縄文時代早期神之木台期の住居址1軒,中期の五領ケ台期の住居址5軒,曽利期の住居址3軒,後期初頭の住居址2軒を調査した。土壙は157基を数える。自然災害で削平された狭い台地のため集落址の展開は不明である。釈迦堂地区では小さな埋没谷の中に平安期の墓壙と思われる遺構を1基調査した。三口神平地区では,縄文時代早期の住居址9軒,中期の住居址186軒,平安末期の住居址5軒と土壙約800基を調査した。早期は下吉井期の住居址で,下吉井式土器の中でも特色のある結節沈線文を主体としたものと,口縁部にめぐる凸帯文を特徴とするものが出土した。中期の住居址の大半は曽利期のものである。曽利Ⅰ・Ⅱ期では住居群は東西に分離した状態で存在し,曽利Ⅲ・Ⅳ期に至って環状集落の様相を呈して来る。曽利Ⅰ・Ⅱ期の段階では炉は埋甕炉・石囲い埋甕炉・石囲い炉と変化に富むが,曽利Ⅲ・Ⅳ期の段階では石囲い炉に統一される。埋甕は住居の南側,出入口部に設置されるが,集落の北側の住居群の埋甕は南東を向く。埋甕は正位のものが多く,逆位のものは少ない。底部穿孔埋甕は9個体出土している。曽利期では,広場・土壙群・住居群・土器捨て場が同心円状に配列され,海浜地帯の大貝塚遺跡と対比される中部高地の典型的な集落址である。三口神平地区では,土偶の出土点数が異常に多く,600点を超える。これに塚越北A地区・同B地区・野呂原地区の出土点数を加えれば,700点以上になろう。接合資料は出土点数に比して少ないが,三口神平地区の西端の土器捨て場出土の胴部と,東側の住居址出土の頭部の接合例や,三口神平地区西端土器捨て場出土の左足と野呂原地区土器捨て場出土の右足が接合するなど,100~200m間の接合例もあり,土偶研究や集落研究の貴重な資料といえる。野呂原地区では縄文時代中期の住居址21軒,平安期の住居址1軒と土壙約100基を調査した。縄文時代中期藤内式から曽利Ⅱ式の時期を主体とする。土偶も比較的多い。平安期の住居址は1軒のみであったが,鉄製紡錘車・鑚をはじめとする鉄製品と銙帯金具,皇朝十二銭の隆平永宝が出土している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7097285 |





