上生野村
【かみいくのむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治8年の村名。筑摩郡のうち。犀川右岸の段丘に位置する。地名の由来は,肥えた土地にちなむという。戦国期は下生野村と合わせて「いくの」と称された(天正9年信濃国道者之御祓くばり日記/信史15)。もとは日岐郷の一部。日岐郷が,寛永5年頃に上生野・下生野・上生坂・下生坂・小立野の5か村に分村して成立。はじめ松本藩領,享保10年からは幕府領(寛保3年~宝暦4年,天明5年以降は松本藩預り地)。はじめ麻績(おみ)組,享保11年から川手組に属する。村高は,寛永19年松本領村々高附帳(県史近世史料5-1)48石余,「元禄郷帳」26石余,「天保郷帳」では日岐上生野村と見え86石余,「旧高旧領」でも86石余。慶安4年検地では,高85石余,反別は畑のみ18町余。元禄11年の家数22。享保5年の家数26・人数154(男82・女72),馬10。寛保4年の村明細帳によれば,作物は大麦・小麦・大豆・小豆・粟・稗・ソバ・煙草。特に煙草生産が多く,弘化3年には村内56軒中,煙草商人6軒・刻む家34軒。村内では,村入用夫銭の不正について,名主と小前との間で,たびたび騒動に発展している。山が少なく,他村の山に入会っている。天保15年の家数55・人数268(男132・女136),反別は畑19町余。鎮守は八幡宮。ほかに室町末期の作の聖観音を安置する観音堂がある。明治2年伊那県,同4年筑摩県に所属。同7年の戸数56・人口311(男150・女161),馬13。同年観音堂に学校が開設,教員2,生徒数は男19・女10。同8年東川手村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7100052 |





