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北大妻村
【きたおおづまむら】


旧国名:信濃

(近世)江戸期~明治7年の村名。安曇(あずみ)郡のうち。梓川左岸扇状地上の第2段丘に位置する。大妻の地名の由来は,地内にある野々宮神社の祭神大倭姫命が景行天皇の娘,すなわち王妻であることから転じて大妻となったとも(信府統記),地内を流れる男女(おめ)沢堰から転じた地名ともいい,端(つま)という立地や地形からとったという説もある(南安曇郡誌)。戦国期には「大妻北方」が見える。当村内の宮尻から平安期の須恵器や土師器が採集されている。承久の乱の際,後鳥羽上皇方となった大妻太郎兼澄は当地の出身といわれ(承久記/信史3),大妻氏館跡がある。また地内の野々宮神社付近では天文19年小笠原長時軍と武田晴信軍との戦いがあったという。松本藩領。上野組に属する。村高は,「慶長改帳」687石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに555石余,「天保郷帳」748石余,「旧高旧領」780石余。享保13年の人数431。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数84・人数621。寺院は浄土宗唯称院がある。神社は野々宮神社・八幡宮がある。野々宮神社には,かつて雨乞と洪水除けの神事があったとされる。なお現在の本殿は宝暦年間の建築で,本殿の外陣に入口をもつ武者隠しが内陣下に造られている。また本殿前の歌舞伎舞台は文政年間の建築で,当地方の様式を伝える代表的な舞台である。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。同7年倭(やまと)村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7100346