北駒場村
【きたこまばむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治8年の村名。伊那郡のうち。天竜川中流右岸,支流田沢川と寺沢川の間に位置する。旗本座光寺氏領。村高は,「天正高帳」320石余,「正保知行付」「元禄郷帳」「旧高旧領」ともに320石余。なお「天保郷帳」では,北駒場村新田も合わせて北駒場村とあり,高528石余。文化8年の家数39うち本村30・枝郷越田9,慶応3年の家数45・人数251(高森町史)。駒場に子安神社があり,木花開耶姫命を祀る。安産の神様として知られる。越田には天照皇大神社がある。延宝年間には長福寺という寺院があった。段丘中段の水利は大沢川から取水する駒場井が主なもので,上流途中で上平井を分水している。水不足の地帯であった。明治2年伊那県,同4年筑摩県に所属。同7年の戸数54・人口279,田32町5反余・畑26町5反余(同前)。同8年里見村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7100374 |





