信越本線
【しんえつほんせん】

JR東日本が経営する路線の一つ。JR高崎線高崎駅(群馬県高崎市)から長野県内を経て,新潟駅(新潟県新潟市)に至る327.1kmの幹線。列車ダイヤ上は上野駅(東京都)を起点とする。県内は,軽井沢駅(北佐久郡軽井沢町)~黒姫駅(上水内(かみみのち)郡信濃町)間,23駅,103.8kmで,東信・北信を結んでいる。小諸駅(小諸市)でJR小海線,上田駅(上田市)で上田交通別所線,屋代駅(更埴(こうしよく)市)で長野電鉄河東線,篠ノ井駅(長野市)でJR篠ノ井線,長野駅(長野市)で長野電鉄長野線,豊野駅(上水内郡豊野町)でJR飯山線と連絡する。明治18年7月,官設の直江津線の名称で,中山道鉄道敷設の資材輸送線として着工。直江津(新潟県上越市)から着工され,明治21年5月1日長野駅,同年8月15日上田駅,同年12月1日軽井沢駅まで開通した。犀川に262m,千曲川に212mの鉄橋が架けられ,橋脚は煉瓦であった。新潟県境を挟んでの区間と,滋野駅から群馬県境よりに,1,000分の25の急勾配があり,蒸気機関車の難所であった。残された軽井沢駅~横川駅(群馬県碓氷郡松井田町)間の碓氷峠の部分は,明治24年2月にルートが直線的な中尾線に決まったが,11.3kmの区間標高差553mを,1,000分の66.7の急勾配で,26のトンネルと18の橋で越えようというものであった。ドイツのハルツ山岳鉄道で採用されたばかりのアプト式軌条が採用された。2本のレールの中央に,歯状のラックレールを敷設し,機関車に付けた歯車に噛み合わせて列車を上下させる方式である。難工事が続いた末,明治26年4月1日に開通し,すでに上野駅から官設と私設で鉄道が横川駅まで開通していたので,鉄道による本州横断が実現した。路線名は,明治28年10月信越線,大正3年6月信越本線に改められた。碓氷峠のトンネルを蒸気機関車が通過するとき,乗務員・乗客ともに煤煙に悩まされた。この区間で運転に75分も要して,輸送のネックとなり滞貨が累積した。国鉄最初の電化は,この区間で明治45年5月11日に実現された。横川駅近くに火力発電所を設け,線路わきの第三軌条により送電した。第2次大戦後,スピードアップと無煙化がはかられるようになった。昭和36年10月から気動車による特急の運転を開始。碓氷峠の新線建設工事は,同38年7月15日に完成した。新しくトンネルが掘削され,複線となり,アプト式を撤去し機関車とレールの摩擦だけによる粘着運転で上下するようになった。同41年10月には県内の電化,同57年6月には北長野駅(長野市)複線化が完了した。同60年3月14日のダイヤ改正から,長野駅~上田駅間に30~40分に1本のエコー電車の運行を開始。沿線の諸都市を縫って走り,通勤・通学・買い物客の需要に応ずる画期的なダイヤで,同61年11月から長野駅~小諸駅間に延長されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7101372 |





