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信府
【しんぷ】


旧国名:信濃

(中世)戦国期に見える地名。筑摩郡のうち。信濃国の国府の意。「小笠原歴代記」によれば,小笠原貞慶は天文14年「信府林館」で生まれたという(信史13)。この頃当地付近は武田晴信の侵攻を受けており,同14年6月14日の武田晴信感状案に「今度於信府,頸〈壱ツ〉」とあり,大井上野介にその被官の戦功を賞している(諸州古文書/信史11)。同17年塩尻峠の合戦で小笠原長時を破った晴信は,同19年7月林城以下の小笠原方の支城をすべて落した。天文20年2月5日の武田晴信寄進状によれば,甲斐一宮の浅間大明神へ願文を掲げ,「信府」が武田晴信によって掌握されたことを謝し,社領を寄進している(浅間神社文書/同前11)。同23年6月29日武田晴信は大日方山城守へ新恩として「信府庄内」の替地として塔原手作分を宛行っている(信濃寺社文書/上水内郡誌)。永禄元年11月28日の大館晴光宛武田晴信書状には,「在信府城,普請申付候半」とあり,晴信は永禄初年から深志城の改修と城下町の整備にとりかかっていた(編年文古/越佐史料4)。永禄10年12月27日の武田信玄朱印状案によれば,諏方左衛門尉ら4人に対し,明年「信府近辺」を宛行うことを約し(松城藩士系譜抄/信史補遺上),翌11年卯月4日諏方左衛門尉に「信府栗林之内」30貫の地を宛行った(新編会津風土記/諏叢26)。下って,天正5年2月3日武田勝頼は波田の若沢寺領10か所を安堵しているが,そのうちに「信府和田之内観音領」「同神林之内地蔵領」「同新村北方」「同南条」「同西牧之内」「同三溝之内」「同竹田明清寺分」などが当地名を冠して見える(若沢寺文書/信史14)。同6年の下諏訪春秋両宮造宮帳にも春宮御宝殿造宮について「上葺之儀者信符(府)和田之郷二百貫之神領御座候」「春宮御炊所之造宮 信符(府)内神林〈上下〉」「大明神御池千尋之池玉籬之造宮,信府之内自宮淵之郷正物壱貫文被出候共」と,同年の下諏訪春宮造宮帳には,春宮御宝殿の造宮役所として「信府之内和田・岡田為両郷之役建立之」,同年の上諏訪大宮造宮清書帳に「信府之内従栗林両郷 大祝殿に納造宮銭事」などとあり(信叢2),他郡のものと区別するために当地名を冠して記されていると考えられる。武田氏滅亡後の天正10年6月20日上杉景勝は「一,信府之内八拾貫文」などを小幡昌虎に宛行った(小幡文書/信史15)。また同11年12月7日景勝は,西条治部少輔に「甥源太本領,新(信)府之内中郷七拾貫文之所」を安堵している(西条文書/新潟県史資料編5)。下って,同14年3月3日の保科正直宛行状によれぱ,「信符(府)御本意」の上の本領安堵を三村勝親に約した(三村文書/信史16)。天正18年と推定される5月11日の豊臣秀吉朱印状の宛所に「信府 石川出雲守とのへ」とあり,松本城の意で用いられている(喜連川文書/信史18)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7101417