清内路村
【せいないじむら】

旧国名:信濃
天竜川支流黒川流域の山間部に位置する。地内中央で小黒川・清内路川が合流する。地名は,背伊那路・狭伊那路・清南路(寺)・青苗路などにちなむとする諸説と,清内という人物の造った道という意味で清内路とする説もある。清内路峠は伊那谷と木曽谷を結ぶ交通の要地として古くから開けた。天文2年5月20日京都醍醐寺の理性院厳助が文永寺に向かう途中,広瀬~飯田間の峠を越えているが,これはこの清内路峠のことと思われる(信州下向記/信史11)。武田氏は伊那郡を攻略すると,要地に関所を設置するが,弘治2年には清内路峠の蘭(あららぎ)関を置いた。その後何度かの変遷があり,現在の梨子野(なしの)峠のふもとに移された。天正10年2月織田軍は伊那谷に侵攻し,松尾城主小笠原信嶺は織田信忠に降った。「信長公記」に「十四日,妻子口より団平八・森勝蔵為先陣,晴南寺口より相働,木曽峠打越,なしの峠へ御人数被打上候処」とある晴南寺は当地のことである(信史15)。清内路峠近くに弘治2年に置かれた関所跡の地名関所洞が残る(清内路村誌)。灰釉茶碗・山茶碗や室町期の石臼の出土品を見る。
【清内路村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【清内路村(近代)】 明治12~22年の村名。
【清内路村(近代)】 明治22年~現在の下伊那郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7101516 |





