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高遠
【たかとお】


旧国名:信濃

三峰川に山室川と藤沢川が合流する一帯,河岸段丘と山麓傾斜地の開析地に位置する。地名の由来は,高くて遠くの見える地とも,鷹が遠く空高く飛ぶ地とも,また「極楽の道高遠とおもい来ていそげば弥陀の浄土なるらん」という念仏にちなむかともいう。河川沿いの山麓,台地には縄文時代の小規模な遺跡が多く散在し,藤沢川沿いには宮ノ原・釈迦堂遺跡,山室川沿いに久保遺跡・原遺跡,三峰川沿いには桂泉畑・堀・後沢・八幡・金井原遺跡など大規模な遺跡がある。弥生時代の遺跡は金井原・竹垣外・後沢周辺の低位置に集中する。古墳の所在は不明だが16基の記録がある。宮ノ原・堀・金井原・竹垣外には平安期の大集落があった。往昔藤沢川の東段丘上に板町村,西の山麓斜面に集落があったという。平安末期には豪族の居館があり,段丘の突端に砦があったと推定され,殿坂に根小屋の地名が残る。天平17年開基と伝える香福寺の門前に市が立ち今も九日市場の地名が残る。建久6年文覚上人が峰山寺(文明寺)を開基したという。建長年間開創という建福寺,正元2年開山という西竜寺,延文5年創建という蓮華寺,天正元年創建という満光寺もある。当地は諏訪・伊那谷を結ぶ重要な拠点・要害地で諏訪勢力の強く及ぶ地であった。藤沢川谷の栗木田・的場・大北に大規模な城跡があり,的場は峰階段形式の山城である。「板町落葉」に,「高遠の地は古板町村と鉾持村と接するのみ,武田の新築に及んで市街を西に設け藩士の居宅を東に設く。古意を存すべときまで云伝へしなり」とあり,「木の下蔭」に「搦手の方古は町なり,今町名残れり」とある。城郭防備を兼ね月蔵山麓に寺社を配した。
高遠(中世)】 室町期から見える地名。
高遠町(近世)】 江戸期~明治8年の町名。
高遠町(近代)】 明治22年~現在の上伊那郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7101685