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成相本村
【なりあいほんむら】


旧国名:信濃

(近世)江戸期~明治7年の村名。安曇(あずみ)郡のうち。梓川左岸の平野部に位置する。元禄7年成相郷から成相町村が分村し,残った本郷が成相本村となる。松本藩領。成相組に属する。村高は,「元禄郷帳」264石余「天保郷帳」304石余,「旧高旧領」では本村と見え328石余。元禄7年の検地帳(豊科町郷土博物館所蔵文書)によれば,田畑入り下げ100石余・屋敷引などがあり,残高264石余と見え,うち田220石余・畑43石余,名請人32(1町以上12・同未満20),田畑入り下げの理由は通水困難とある。梓川流末の鳥羽堰を用水としていたため,上流の鳥羽村同様水不足に悩まされ,享保年間の成相組鑑(鳥羽家文書)では,干害の時220石減,つまり全損に近い状況を呈した。しかし,寛政10年奈良井川の水を取水した勘左衛門堰の大改修により水不足が解消。東部を糸魚川(いといがわ)街道が通っているため中馬稼に従事する者が多く,宝暦13年幕府派遣の中馬取調役人への報告書に「家数三十軒,馬数十疋,作間に中馬稼仕り候。中馬稼は名古屋,岡崎,沼津,小田原あたりまで通行」とある(豊科町誌)。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数30・人数282。鎮守は諏訪明神。ほかに大日堂がある。大日堂の前には道祖神碑と神代文字碑がある。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。明治4年大日堂に成新学校本村支校が開校,同7年の生徒数は男28・女11。なお同年廃校。同7年の戸数50・人口296。同年豊科(とよしな)村の一部となる。




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「角川日本地名大辞典」
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