福井新田村
【ふくいしんでんむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期の村名。水内(みのち)郡のうち。飯綱高原東部に位置する。村名は付近の福井久保・福井原などの地名からと思われる。庄屋次郎助は,寛永20年更級(さらしな)郡布施五明から水内郡普光寺村へ移住し,承応2年福井新田を見立てた(由緒改帳/福井共有文書)。元禄年間までに成立した神代村の枝郷。飯山藩領。村高は,「元禄郷帳」に神代村枝郷と見え95石余。万治4年の検地の畑高3石余,寛文6年検地分5石余うち屋敷4筆(豊野区有文書)。年貢割付状は本村(神代村)と一本で本村の庄屋が福井分を書き抜いて示した。宝永3年の畑の年貢率は10.5%で隣の番匠屋敷新田村の2倍。当村には郷蔵と庄屋など三役が置かれた。享保9年の川辺村々差出帳(飯山市吉松家文書)によれば,本村から1里26町,家数24,馬数3,用水は出水,旱魃の時は5町下り鳥居川から汲み上げるとある。宝暦2年の神代村宗門帳(善財家文書)では家数22・人数101。鎮守は諏訪大明神。「天保郷帳」では神代村1,325石余のうちに含まれ,古くは神代村・泉平新田村・番匠屋敷新田村と当村は一村と記されており,天保年間までに神代村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103050 |





