藤長御厨
【ふじながのみくりや】

旧国名:信濃
(中世)鎌倉期~戦国期に見える御厨名。更級(さらしな)郡のうち。千曲川の北岸横田一帯に立地。建久3年8月日の伊勢大神宮神領注文に「信濃国……藤長御厨〈二宮〉」とあり,供祭物は「内宮方,上分布五十端,長日御幣䉼日別代布二丈,外宮方,同前,件長日御幣代布近年不究済之」とある(皇太神宮建久已下古文書/信史3)。「神鳳鈔」には同じ内容のほか「三百四十五町」とあって矢原御厨に次いで広く,上分も長田御厨に次いで多かった(信史3)。文永2年9月26日藤原資兼は当御厨の去々年年貢未進の代として伊勢継橋郷内の地を豊受大神宮に寄進している(遠江国御神領記/信史4)。延元4年10月の神領給人引付には,外宮分は従前どおり布50端・長日御幣代布日別2丈を神貢しているが,内宮分が記載されていないので,この頃内宮との関係が消滅したものと考えられる(信史5)。文亀元年9月日の皇大神宮庁宣案には「外宮御領藤長御厨,毎年上分并廿⊏⊐度造替料・日食米・同提米,可有成敗」と神貢を催促しており,当御厨の衰退を示している(鏑矢伊勢宮方記/信史10)。地域の伝承では長野市篠ノ井横田富士宮をその跡と伝えており,横田周辺を当御厨に比定する説が多い。篠ノ井御幣川(おんべがわ)は長日御幣を貢進したことにちなんで名付けられたと伝えられている(地名辞書)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103093 |