宮本
【みやもと】

旧国名:信濃
高瀬川左岸の段丘上に位置する。宮山から流下する宮ケ沢の扇頂には,千古の巨杉が鬱蒼と生い茂る中に仁科神明宮が南面して鎮座する。仁科御厨鎮護のために勧請された神社で,本殿・御門屋(中門)・釣屋は国宝。寛永13年に建造されたまま20年ごとに修復(式年造営)され,江戸初期の作風をそのままとどめている。また,仁科神明宮棟札27枚(永和2年~安政3年)は国重文。この棟札には,仁科氏の代々の領主の名が,南北朝期から戦国期の弘治2年まで200年にわたって連なっている。川中島合戦後,仁科氏が甲斐の武田に滅ぼされてからは,武田氏の出で,仁科を名乗った仁科五郎盛信が,その後は,松本藩主代々の名が造営奉仕者として刻まれている。仁科66郷の惣社。同神社の南を流れる沢を宮ケ沢(神明沢)と呼び,屯倉がこの付近に存在したことを想像させ,西方の高瀬川を隔てた対岸,須沼村には古代交通路を証す「沓掛」があり,さらに北方,小谷村跡杉山の鞍部には三坂峠が存在したことなど(曽根原家文書),古代の官道とのつながりを示している。宮本の名は,神明宮の神前の村の意。南部の裏ノ沢の崖錘状微扇状地末端の前田遺跡からは7~11世紀にかけての土師器・須恵器が出土し,約30もの住居跡が発掘され,仁科御厨創設以前の古田地帯とみられている。
【宮本(中世)】 戦国期に見える地名。
【宮本村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103660 |





