有尾新田
【ありおしんでん】

旧国名:美濃
(近世)江戸期~明治8年の村名。美濃国多芸(たぎ)郡のうち。津屋川東方の低湿地に位置する。はじめ高須藩領,元禄4年より幕府領笠松郡代支配。当新田は,寛永年中大野郡五ノ里村の牧太郎助・居倉村西堀三郎左衛門ら4名の有尾村の草場開墾計画に始まり,慶安5年検地を受けるに至り成立した。同年検地高708石余で,貞享2年までの移住戸数18。「天保郷帳」の村高708石余。庄屋は,延宝8年名古屋から移住した中村家が近隣の津屋新田も兼帯し代々勤めている(県史)。両新田合計の戸口は貞享2年18戸・119人,元文2年51戸・273人,明治4年65戸・300人。明治2年の有尾新田・津屋新田差出明細帳によれば,有尾新田は高708石余・田67町6反余・畑3町2反余,家数66・人数305,低湿地のため悪水圦4か所,用水樋3か所,板橋10か所,池4か所があり,津屋川など周囲に堤がめぐらされていた。往還掃除場所は不破郡野上地内中山道38間。明治4年岐阜県に所属。同8年津屋新田と合併し田村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7104351 |