春近
【はるちか】

旧国名:美濃
(中世)鎌倉期~室町期に見える地名。美濃国のうち。「吾妻鏡」文治2年6月9日条によれば,後白河法皇が「春近并郡戸庄年貢」を懈怠なく進済させるよう源頼朝に申し入れており,同書貞永元年11月13日条によれば,寛喜の飢饉にあたって北条泰時が平出左衛門尉・春近兵衛尉等を株河駅に派遣,往反の浪人に施しをしたという。ここに見える地名春近,あるいは春近氏は美濃に関係したものとして論じられることが多いが,春近・郡戸(こおるど)荘両地名は信濃国にもあり,また春近なる所領名は美濃以外にも信濃・越前・近江・上野に分布する。それらには,領主が守護か有力御家人で,将軍から宛行われること,国内に散在しながらも一括して春近と呼ばれ,単一の領主の領有下にあること,等の共通性がある。美濃の春近については,嘉禎4年の官宣旨で可児(かに)郡中村郷の四至について「西根荏戸春近堺」(御嵩町春日神社文書),建武5年の源国義・同若熊丸および源国貞の仏像造立願文に「美濃国山県(やまがた)郡春近世保郷之内安養寺本仏無量寿如来坐像」(立政寺文書),永和元年揖斐(いび)の大興寺への沙弥祐康(土岐頼雄)寺領寄進状に「一所 美濃国春近内山県河西郷」(大興寺文書)と見える。また明徳元年10月8日足利義満は京都祇園社へ「美濃国春近内吉家郷地頭職」を寄進しており(八坂神社文書),長禄3年の土岐嶋田益忠庭中言上状案によれば,「同(美濃)国四ケ春近」が嶋田氏の相伝所領であった(蜷川家古文書)。現在,春近なる地名は席田(むしろだ)・山県・安八(あんぱち)・可児(かに)の4郡に残存しているが(県史),それらが中世史料に見える春近とどのような関係にあるのかなど,多くは未詳である。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7108077 |