南武芸村
【みなみむげむら】

(近代)明治30年~昭和31年の武儀(むぎ)郡の自治体名。小知野(おじの)・八幡(はちまん)・高野・跡部(あとべ)・広見(現関市)5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。役場を高野に置く。明治30年の戸数711・人口4,354。大正元年は798戸・4,662人。大正8年板取川電気株式会社によって役場・博愛尋常高等小学校に村内最初の電灯が点灯した。昭和元年の戸数814・人口4,890。同11年の戸数758・人口4,553,田259町余・畑82町余・山林394町余・原野19町余。主要産物は甘藷10万貫・高麗黍3,000貫・酒2万円・紙8万3,550円。同20年の戸数937・人口5,478,同30年は888戸・4,685人。昭和31年広見の一部を除き東武芸村と合併,武芸村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7108899 |





