馬ケ谷村
【まがやむら】

旧国名:遠江
(近世)江戸期~明治7年の村名。遠江(とおとうみ)国周智(すち)郡のうち。馬箇谷とも書いた。宇刈(うがり)川の上流に位置する。地名の由来は,村の北の秣平あるいは馬草間と称する所にかつて武内真草(まがや)神社があり,その社名が村名となったという(掛川誌稿)。掛川藩領。村高は,「元禄高帳」375石余,「天保郷帳」382石余,「旧高旧領」383石余。当村は大谷・道田(どうでん)・芹ケ谷の3組からなる(宇刈村誌)。慶長9年の検地では反別田26町7反余,畑6町8反余。正保2年の田方351石余・反別27町2反余,畑方50石余・反別5町4反余(関家文書)。助郷は文化元年より東海道袋井宿へ代助郷出役(田代家文書)。佐野郡大池・高御所・長谷(ながや)・細田の4か村の東海道往還掃除出役(東海道宿村大概帳)。正徳2年の村指出帳(関家文書)では,人口279,僧4・道心1・山伏2,馬16。「掛川誌稿」では,戸数53・人口210。寺院は曹洞宗玄泉庵・同宗東光寺(30年以前から無住)・真言宗多法寺。神社は若宮・春日神社がある。ほかに寛文7年に刻まれた大日石像がある。用水には溜井堰が1か所あり,この井堰の水神を祀った赤塚と称する地がある。また,文化14年字東の家(ひがしのや)に新井堰が造られた。字門田・堀関は当村中の耕地では,用排水路のある唯一の箇所で,二毛作のできた最初の地(宇刈村誌)。「遠淡海地志」では戸数60で,貝石を産するとある。代々庄屋を勤めた内藤家は戦国期には宇刈七騎と呼ばれた郷士の1つ(掛川誌稿・宇刈村誌)。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県を経て,同年11月浜松県に所属。明治7年一色村ほか3か村と合併し,宇刈村となる。現在袋井市大字宇刈の通称地名として残る。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7114257 |





