三沢郷
【みさわのごう】

旧国名:駿河
(中世)南北朝期~室町期に見える郷名。駿河(するが)国有度(うど)郡のうち。康暦2年5月16日の某泰助他二名連署奉書(駿河伊達文書/静岡市史古代中世史料)に「伊達牛王丸申,駿河国入江庄三沢郷内知行分事」とあるのが初見。伊達牛王丸が知行していた当郷が矢部祐光に押領され,年貢が抑留されていたことを知る。次いで,永徳元年8月29日の某範直・泰基連署状(同前)では三沢村の8反の地が伊達崇栄の息女に充行われている。また永享2年10月23日には当郷が伊達政宗に安堵されて(同前),享徳4年3月21日にも伊達範宗が当郷の知行分を安堵されている(同前)。清水市大字宮加三付近に比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7114402 |