呉服町
【ごふくまち】

旧国名:三河
(近世~近代)江戸期~現在の町名。明治初年から明治22年は豊橋を冠称。江戸期は吉田城下二十四町の1つで,表町のうち。吉田城の南に位置し,町並みは東西に続き,東は曲尺手(かねんて)町,西は札木町に接する。吉田宿伝馬役は伝馬役町・平役町として伝馬・人足を出し,貞享元年には本門33軒のうち,伝馬役門11軒で馬9.5匹,歩行役門8軒で人足8人,平役門11軒で出人足11人を負担した。同5年の町並み107間2尺,道幅3間3尺,家数34。正徳2年の吉田惣町差出帳によれば,家数33・人数262,庄屋は弥次右衛門。寛延3年の吉田弐拾四町指出帳では家数40・人数256。同年の吉田弐拾四町指出帳書抜では,高18石余,出火時出役人足16,町医者2・紺屋1・檜物師1・鞘師1・金具師1・提灯師1,年寄は儀右衛門,出水時に吉田大橋へ人足を出役。造酒屋が1軒あったが,享保13年に廃業(豊橋市史)。安永8年の宗淳火事で類焼。文政2年の家数32,天保9年の家数33。明治9年の合併村願書によれば,戸数58・人数232(徳川林政史研究所蔵)。同10年の地価取調帳によれば,面積5,464坪余・地価5,904円余。同17年渥美(あつみ)郡第3組戸長役場設置。同22年豊橋町,同39年からは豊橋市に所属。明治33年演劇場の東雲座開場。昭和13年には豊橋古着商組合・豊橋興業組合の事務所があった(豊橋商工案内)。同33年吉屋町・曲尺手町の各一部を編入し,一部が八町通1~5丁目・曲尺手町・新吉町・大手町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7118448 |





