堀之内村
【ほりのうちむら】

旧国名:尾張
(近世)江戸期~明治11年の村名。尾張国知多郡のうち。知多半島北西部,舌状台地の先端に位置する。地名は,中世の花井播磨守信忠とその子の勘八郎の居城(堀之内城)の堀の内にあたることにちなむ。中世の寺本保の地は,慶長13年の備前検地で5,450石余という村高にのぼったため,4か村に分けられたが,当村はそのうちの1つ。尾張藩領。横須賀代官所支配。全村蔵入地。村高は,「寛文郷帳」537石余,「天保郷帳」576石余,「旧高旧領」946石余。「寛文覚書」によれば,概高807石余・反別49町余(田32町余・畑16町余),家数129・人数624,牛馬26,寺院は曹洞宗福用寺,神社は天王社。福用寺は明治初年に取り壊され,本尊は永代供養の供田とともに平井村の大祥院へ移した。枝郷に荒井・荒古があり,集落は台地の先端西麓に沿った本郷と浜通り筋や海岸沿いにある。荒古の村はずれに鎮座する八幡宮は,「寛文覚書」では平井村に記載されている。八幡宮は寺本4か村の総鎮守。明治11年八幡村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7123180 |





