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前ノ川町
【まえのかわちょう】


(近代)明治4年~昭和55年の町名。はじめ愛知郡,明治11年名古屋区,同27年名古屋市,同41年からは同市西区の町名。もとは名古屋村のうち。江戸期は前ノ川(筋)と称し,名古屋城の北西の武家屋敷地の一部であった。「金鱗九十九之塵」に「前の川 陌筋東西なり。御茶道町の北にありて,町中に小川あり。故に前の川と号。いぬる明和九壬辰年六月廿日酉の刻ばかりに,当町火災あり。又此地の川を境にして,南は巾下,北は上宿と号せしよし」とある。巾下は名古屋村の通称で,「市巷連綿たるところ,城西の地は山下卑湿の地」である故に巾下と称したという(名古屋府城志)。上宿は慶長年間の名古屋遷府の際,諸国の人夫が集まってこの付近の家々に宿泊した。城の北方にあたるところから上宿と称したという(金鱗九十九之塵)。当地は東は御深井丸,西は南北に流れる江川,南は袋町・御茶道町,北は御手子町・役割町に接した(尾府全図)。明治4年前ノ川町となる。東は黒川,西は江川,南は俵町・北鷹匠町1丁目・数寄屋町・樋の口町1丁目,北は吹出町・手木町と接し,東西延長約400間であった(名古屋市史)。江戸期には,前ノ川筋の西端の江川に三国橋が架かっていた。この北方はみな田畑で家はなく,当地より近江・美濃・加賀などの3国の山々が見渡せるところから名付けられたという。また,当地には儒者小笠原九郎右衛門も居住していた(金鱗九十九之塵)。昭和50年の世帯数175・人口554。同55年城西2~5丁目・数寄屋町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7123274