西明寺
【さいみょうじ】

旧国名:伊賀
上野盆地中央部,木津川の支流服部川下流部に位置する。服部川の左岸平地部から南東部にかけての堆積層部に及ぶ。地名の由来は西明寺とも三明寺とも伝えられる寺院が建てられたという伝承による。奈良期,聖武天皇の勅願によって建てられた伊賀国分寺跡があり俗に長者屋敷と呼ばれる。6万2,000m(^2)の広大な寺域の周囲には土塁がめぐり,金堂・講堂・中門・塔の土壇が残る。また,同寺の東方200mの地に国分尼寺にあたる長楽山廃寺跡があり土塁や金堂・講堂跡の土壇が残る。なお,南北朝期に活動する北伊賀悪党のなかに,三明寺孫次郎の名が見える(東大寺古文書/大日料6-6)。
【西明寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【西明寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7126929 |





