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西町②
【にしまち】


旧国名:伊勢

(近世~近代)江戸期~現在の町名。昭和20年代まで亀山を冠称。江戸期は亀山城下の1町。町人町。町並みは屈曲した東海道沿いに城の南西を囲繞して京口坂に至る。地名は,城下の西側部分を占めることに由来する。当町内には,新町・池之側・万町の通称町名があった。高は,寛永14年検地271石余(うち田138石余・畑132石余),「元禄郷帳」260石余,「天保郷帳」287石余,「旧高旧領」314石余。「亀山御領分雑記」によれば,本年貢のほか茶運上2貫余や新開林運上銀を負担。伝馬町であったため,寛永15年から御伝馬役町所持高8石余が免許。問屋場を設け,東町問屋と交替で公用伝馬役を勤め,上りは毎月11~20日,下りは1~5日と26日~晦日の業務を分担。「九九五集」によれば,寛永14年の伝馬数18,元禄14年には問屋取締役の庄屋又右衛門のほか年寄・肝煎・帳付・馬指・人足指などの役職が見える。町は東西6町40間・南北41間で,うち新町1町32間・西町2町40間・池之側44間・万町1町44間。元禄14年には庄屋が4人置かれ,寛永15年にはその統轄にあたる代官並の者がいた(亀山地方郷土史)。延宝4年の家数156(うち本役53・半役14・三分六厘役36・三分五厘役30・一分九厘役8・無役15),人数939,馬22,牛7(亀山御領分雑記)。享保20年新町より出火し,藩が救済金を出さざるをえなかったほどの大火であった(亀山地方郷土史)。神社は熊野権現と片岡大明神,ほかに清水・阿明田・安正寺下・でころぼ坂に山神を祀った。寺は浄土宗絡南山善導寺・天台真盛宗遍照寺・真宗高田派誓昌院・禅宗安正寺の4か寺がある。善導寺ははじめ真言宗で,天正17年の亀山城築城時に当地に移された。誓昌院は永禄4年の建立。明治5年の戸数207(各区戸長副戸長総代名簿),同22年の戸数162・人口788(町村分合取調書)。明治5年に第6大区扱所が置かれた。同22年亀山町,昭和29年からは亀山市に所属。明治29年伊勢煙草株式会社が創立されたこともあるが,近代以後は住宅地として進展する一方,同23年町の南部低地に関西鉄道の亀山停車場ができてからは,亀山の表玄関としての地位を占めるようになる。明治初期西端部京口門付近は亀山西京口となる。昭和29年一部が御幸(みゆき)町として分離,同時に再び亀山西京口を編入。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7128508