100辞書・辞典一括検索

JLogos

76

丸之内本町
【まるのうちほんまち】


(近代)明治41年~昭和47年の津市の町名。もとは津市丸之内の一部。町名の由来は丸之内本丸とともに丸之内の中心地であったことにちなむ。もとは東外堀の内側で,京口門や城代藤堂仁右衛門など上級武士の屋敷が並んでいた地域。市役所が昭和11~54年まで,津税務署が明治29年~昭和26年まで,伊勢新聞本社が明治21年~昭和38年まで設置されていたほか,津郵便局・津市消防署などがあった。旧藩校有造館跡は,養正小学校が使用,同校が昭和27年玉置町へ移転した後は津電報電話局となった。分部町と伊予町の間に架けられた岩田橋は,国道筋の変更により丸之内本町~伊予町に変更され,大正9年コンクリート橋として完成した。昭和8年から開始された国道1号(現国道23号)の拡幅工事で,同12年本町内通りは幅20mに拡幅された。同20年7月の空襲で町は焼失,復興にあたって国道はさらに幅50mに拡幅,現岩田橋も同35年総工費1億2,000万円余で架け換えられた。なお江戸期の岩田橋につけられていた銅製の擬宝珠は県立博物館に保管されている。市役所も再建(昭和26年第1期工事完了,同30年第2期工事完了)され,同31年には地下1階地上5階の当時県下最大のビル三重会館(津郵便局・三重交通本社・日本勧業銀行津支店)が完成した。昭和32~33年には国道の両側に2つのスーパーが開店,同38年には津市唯一のデパート松菱百貨店が大門から移転新築。世帯数・人口は,昭和36年142・783,同44年145・567。同47年国道23号と市道津港河辺線の交差点で四分され,それぞれ大門・中央・東丸之内・丸之内となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7129340