三木浦
【みきうら】

旧国名:紀伊
熊野灘のうち賀田湾の北岸に位置する。集落は,谷ノ山南麓の海際に密集し,四季温暖の地である。地名の由来について「紀伊続風土記」は,三木は三毛にて三毛入野命の社(次郎明神・松尾明神)があることにちなむという。また,三木は三鬼で3番目の修験道場を意味するという説もある。地内中山に礫器・磨製石斧の出土する遺跡がある。三鬼新八郎の居城という三木城は現在三木小学校の地となり,「本丸東西十二間,南北十三間,二丸五十間に四十間,城山周三町半で三方海に臨む」(紀伊続風土記)の景観は失われているが,城山だけは残る。なお西行の「山家集」には「みき島」が見え,同地で2首を歌っている。
【三木浦(近世)】 江戸期~明治22年の浦名。
【三木浦(近代)】 明治22年~昭和29年の北輪内村の大字名。
【三木浦町(近代)】 昭和29年~現在の尾鷲市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7129365 |





