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飛鳥里
【あすかがり】


旧国名:山城

(古代)条里の里名。飛鳥田里・阿須賀田里と書いて「あすかたがり」とも呼ばれ(柳原家記録/平遺1801),また「とぶとりがり」ともいう(東寺百合文書カ)。山城国紀伊郡11条に属し,石原郷のうち。伝九条尚経筆九条御領辺図に位置が示されている(九条家文書3-652)。現在の京都市南区上鳥羽南唐戸町を中心とし,同北中ノ坪・同上調子・同高畠・同唐戸の諸町ならびに吉祥院東浦町・同八反田町のほぼ全域と,西九条高畠・吉祥院南落合・同稲葉の各町域の一部を含み,西南部を西高瀬川(旧天神川)が南下している。天元4年3月25日の山城国紀伊郡司解案に初めて里名が見える(東寺百合文書イ/平遺319)。13世紀初期の山城国紀伊郡里々坪付帳に,当時の里内の状況が詳記され,北西部に石原荘田計4町1反があるのをはじめ,鳥羽殿領山崎荘および左右馬寮田・弾正田・兵庫寮田・采女田などの官衙領,あるいは日吉田・蓮光院領・平野社領・稲荷社領等が散在入り組み形態を呈し,中心線に沿って西側を朱雀大路(鳥羽の作り道)が南下していたことがわかる(九条家文書3-825)。正中3年3月の東寺領拝師荘坪付并散用状では36坪に荘田3反が記され(東寺百合文書ヘ),長享2年2月26日,同寺領東西九条女御田年貢算用状には,13か坪にわたって計2町9反240歩の田地が書き上げられている(東寺百合文書わ)。南北朝期~戦国期には,28・31・32坪あたり(現西九条高畠町・上鳥羽高畠町)の字名を「感田(あるいは干田・勘田)」と称していたことが知られ(九条家文書3-1113・4-1274,東寺百合文書ツ・メ),またそれに近接して「腰折田」という字名もあった(東寺百合文書ヱ)。宝徳元年の田地売券では,29坪(上鳥羽高畠町)に字「左衛門田」があったことが知られる(東寺百合文書カ)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7136134