稲捌間里
【いなやつまがり】

旧国名:山城
(古代)条里の里名。山城国相楽(そうらく)郡3条に属する。延久4年太政官牒石清水八幡宮護国寺宮寺所所庄園参拾肆箇処事(平遺1083)の相楽郡稲間荘の記事中に,「額田村参条稲捌間里」と見える。1の坪から23の坪までと,26の坪から33の坪までの31か坪に,合計23町8反50歩の稲間荘田があり,これは荘総田数29町2反50歩の大部分にあたる。北は下狛と稲八間の堺畷,南は荒陵里31・32・33坪の南畔,西は山峯,東は祝薗と稲間の堺畷で限られるという荘域四至からみて,この里の所在が現在の精華町北稲八間集落が含まれる里であることは,間違いない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7136731 |





