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葛野県
【かどののあがた】


古代の県名。京都盆地の北部,北西部,西部にわたって展開していた大化前代の県。「日本書紀」神武紀2年2月条に頭八咫烏(やたのからす)の後裔は「即ち葛野の主殿(とのもり)県主部是れなり」という伝承があって,葛野県の存在を示す史料の1つとされ,この県は5世紀までに設定されたものと考えられている。葛野県の名は,律令制下の山城(山代・山背)国葛野郡として受けつがれる。葛野郡は大宝2年頃に,葛野・愛宕(おたぎ)・乙訓(おとくに)・綴喜(つづき)などの郡に分割されるが,県は,これら諸郡にまたがる旧葛野郡全域という広い範囲にわたっていたと考えられている。このことに関連して,天平5年「山背国計帳」,天平6年7月27日,および同20年4月25日の「造寺所公文」(いずれも寧楽遺文所収)に「鴨県主」が見え,また,「山城国風土記」逸文(秦氏本系帳/本朝月令)や「続日本紀」宝亀11年4月26日条などには「賀茂県主」とあって,「鴨(賀茂)県」というものを想定し得ることが注目される。鴨氏は賀茂社,すなわち賀茂別雷神社(上賀茂神社)や賀茂御祖神社(下鴨神社)を祀り,それらは愛宕郡にあることから,鴨(賀茂)県が葛野県と別個の県としてあったとする説がある。それに対して,愛宕郡は葛野郡から分かれたもので,もともと葛野県のうちであり,その上,葛野県主は八咫烏の後裔という伝承がある一方で,鴨県主は八咫烏そのものである鴨建角身命を祀る(山城国風土記逸文)のであるから,両県主は祖神を同じくし,したがって鴨県と葛野県は同一のものを指し,ただ県主が賀茂神を祀る神官になったために鴨県主と称するように変化しただけであるとする説がある。しかし,さらに,葛野県主と鴨県主はもともとまったく別個の氏族であったが,山背河(木津川)によって相楽郡加茂地方から山代盆地北部へ移動し定着した鴨(賀茂)氏が,やがて葛野県主にとってかわって葛野県の支配者になったことの反映として鴨県主をとらえようとする説がある。「先代旧事本紀」に「葛野鴨県主」と書かれているのも,新しい支配氏族の出現にふさわしいと,その説はいう。この説に拠って,葛野県と鴨県を同一のものの,時代・支配者の違いによる異称と見ておく。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7138241