指物町
【さしものちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。河原町通夷川上ルの町。寛文9年の鴨川新堤築造ののち,この一帯は水害から救われ河原町通が開通するが,当町の発展もそれと軌を一にしたものと考えられる。すでに寛文12年洛中洛外大図には「指物町」の名が見えている。また,「宝暦町鑑」には「指物屋町」とも見えている。維新前には,当町に美濃大垣藩戸田氏の京屋敷があったが(坊目誌),そのほか,正徳頃には長州藩松平大膳大夫の御呉服所大文字屋市兵衛なる者が居住していた(都すゞめ案内者)。江戸期は下中筋組の上河原町十二町組に属し,32軒半の軒役を負担。明治2年の町組改正から上京(かみぎよう)31番組,同5年第31区と改称,同25年第26学区に編成。明治12年上京区指物町,同22年京都市上京区指物町,昭和4年中京(なかぎよう)区指物町となり現在に至る。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7140504 |





