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築山南半町
【つきやまみなみはんちょう】


旧国名:山城

(近世~近代)江戸期~現在の町名。室町通今出川上ルの町。町名は室町幕府の庭中に築山を築いた地にあたることに由来し,築山北半町に対する。当町は,南北に分割して成立。「築山下半町」(立売親九町組記録)とも称した。築山下半町の名は「上下京町々古書明細記」によると天正20年には見え,東西両側の間口は合わせて75間余であった。当町は室町幕府の総門のあった場所といわれ(親町要用亀鑑録),また一説には相国寺法界門が当地にあったといわれる(雍州府志)。「京雀跡追」は当町を「惣門町」とも記し,禁中御菓子所二口能登という菓子屋が今出川通に面して西側にあったことを伝える。江戸中期町の東側南方に難波家の邸宅があった(宝永2年洛中洛外絵図)。明治5年に開かれた博覧会のためガラン灯籠とよばれる油を燃料とする街灯を室町通上立売下ル・室町通一条上ル・新町今出川角・室町今出川の5か所に各1本ずつたて,3月13日より50日間灯され,同年11月から一般に用いられはじめたという(築山南半町文書)。江戸期は上立売親町九町組。明治2年の町組改正から上京(かみぎよう)13番組,同5年第10区と改称,同25年第2学区に編成。明治12年上京区築山南半町,同22年京都市上京区築山南半町となり現在に至る。大正14年の世帯数34・人口150,昭和40年の世帯数39・人口138。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7142580