花畑町
【はなばたけちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。七条通大宮西入の町。町名は,西本願寺に対する仏供の草花を栽培した園圃であったことによる(坊目誌)。寛永後万治前京都全図および寛文12年洛中洛外大図は「三本松町」と記し,「宝暦町鑑」や天保2年京町絵図細見大成などに「花畑町」と見える。延享元年正月,西本願寺より町内の田地が預けられ,年3石の米が上納された(村上文治家文書)。「表処置録」によると文政頃当町から西本願寺に対し中元に茄子,歳暮に小芋が届けられている。また天保頃,西本願寺境内の当町に居住しながら浄土宗に属する家持として醍醐屋九右衛門ほか5名の者が列挙されている。江戸期,西本願寺に対し1年に半張分,つまり275文の御挑燈料志を納めていた(寺内歳時記)。また本願寺第12世法主准如以後,歴代法主は当地で火葬し,大谷の地に埋葬することが習慣となった。江戸期は西本願寺寺内町突抜組。明治2年の町組改正より下京(しもぎよう)21番組,同5年第29区と改称,同25年第29学区に編成。明治12年下京区花畑町,同22年京都市下京区花畑町となり現在に至る。明治9年滋賀県彦根に創設された金亀教行は,同33年金亀仏教中学,同35年第3仏教中学となり,同43年私立平安中学(現在の私立平安高校・同中学校の前身)として当町に移転。明治44年の世帯数105・人口396,大正14年の世帯数109・人口513,昭和40年の世帯数88・人口356。人口増減率(昭和40~50年)33.1%減。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7144190 |