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東河内村
【ひがしかわちむら】


旧国名:山城

(近世)江戸期~明治8年の村名。山城国葛野(かどの)郡のうち。清滝川の最上流域,桟敷ケ嶽(895m)の西南麓に位置する。集落は,川沿い北岸の山裾に形成。文徳天皇第1皇子惟喬親王隠棲の伝承がある。雲ケ畑・杉坂の地域を含む小野郷十か村(別称小野山)のうち。江戸初期,西河内村・中村とともに小野村とも称した。村高は「正保村高帳」「元禄郷帳」「享保村名帳」「天保郷帳」「旧高旧領」とも178石余。支配は「元禄村別領主帳」で仙洞御料,「享保村名帳」で法皇御料,「旧高旧領」では元御除料。古代より朝廷との結びつきが強く,材木・炭・菖蒲などを調進する供御役を勤仕したため,江戸期幕府は供御人に対し棟別銭・臨時賦役などを免除している。産物は,薪炭・木材の林産加工品で,丹波国桑田郡山国郷中江村から茶呑峠,杉坂を経て鷹峯に至る長坂越(若狭街道)を京都市中に運搬した。明和9年の家数人別并牛馬員数帳では戸数36,うち高持25・水呑11,人数194,うち男100・女89・出家5。明治4年の村明細帳では家数34,うち高持33・無高1,人数172,うち男87・女85。社寺に,「延喜式」神名帳の「堕川御上神社」にあたるという大森賀茂神社,臨済宗妙心寺派寿仏寺・同長福寺,真言宗安楽寺がある。長福寺境内の供養塔は,惟喬親王の宝篋印塔と伝える。左・右両座に分かれた宮座が伝承されている。明治元年京都府に所属。同8年大森村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7144313