100辞書・辞典一括検索

JLogos

35

本隆寺
【ほんりゅうじ】


京都市上京(かみぎよう)区智恵光院通五辻上ル紋屋町にある寺。山号は慧光山。法華宗(真門流)総本山。本尊は十界曼荼羅。長享2年,日真(中山親通の子)が勝劣義を唱えて妙顕寺の日具から分かれ,六角西洞院に創立。延徳元年に四条大宮に移り,洛中日蓮宗二十一か寺の1つとなる。天文の法乱に遭い,乱後の天文11年に一条堀川に再興。天正12年豊臣秀吉の命により現在地に転じた。江戸期寛永10年の末寺帳には50か寺を書き上げており(大日本近世史料),勝劣派の本山で,寺地は東西75間・南北53間余(京都大概覚書)。本堂・祖師堂などがあるが,本堂は享保15年の西陣焼けにも,天明の大火にも焼け残り,不焼寺(やけずのてら)の異名をとった。その霊験を記した石碑が建つ。一説にここは如大禅尼のはじめた景愛寺の故地といい,禅尼の幼名に因む千代井がある。夜泣止めの松には,当寺7世日脩の出生に関する霊異譚があり,松葉を幼児の夜泣止めのまじないとする。墓地には黒川道祐の墓がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7145210