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室町頭町
【むろまちかしらちょう】


旧国名:山城

(中世~近代)戦国期~現在の町名。室町通上立売上ルの町。町名は,室町通の北の頭の地であることによる。すでに天文15年11月18日付の足利義晴禁制の宛所に「上京室町頭一町」と見える(公同沿革史)。その後,永禄11年7月の段階で,上・下両京において町役人的な役目を負っていた者を書き上げた「上下両京御役者公人之数之事」には「室町頭 国枩与三左衛門尉」とある(蜷川家古文書17)。また,「元亀米賄帳」に立売組十四町(寄町分廿九町)の1つとして見える「室町上町」は当町のことと判断され,天正年間の「上京文書」では「室町頭」「上室町頭」「室町頭上半町」「室町頭下半町」などと見える。江戸期には二分して室町頭上半町・室町頭下半町,あるいは室町頭南半町・室町頭北半町とも称していた。江戸期の当町には,長崎割符商人後藤理右衛門(京羽二重織留),町医師村上見照(京都大概覚書),御用医師北小路安芸介源貞方(京羽津根)らが住んでいた。また,上半町には,能太夫堀池弥三郎,高安流脇師中村勘左衛門(京都大概覚書),猪八郎・常太郎(京羽津根)がおり,下半町には,能太夫金春喜左衛門(京都大概覚書)など,能関係者が多く居住していた。江戸期は上立売八町組親町。明治2年の町組改正から上京(かみぎよう)6番組,同5年第5区と改称,同25年第2学区に編成。明治12年上京区室町頭町,同22年京都市上京区室町頭町となり現在に至る。明治になると,当町には郵便切手売捌所が設けられた(府地誌)。当町東側北部の勝智院の跡といわれるところに,明治26年上京第2学区・70か町を校区とする室町尋常小学校が開校。同校は,上京2組竹園校,上京5組木ノ下校,上京10組玄武校の3校を合わせて成立。生徒数は,明治32年度,男331・女282。その後,校地は東の柳図子町の北部,北の下柳原南半町の南部へと広がった。昭和16年,国民学校令に基づき,国民学校となり学区は廃止された。同20年,2陣に分かれ,生徒280人が与謝(よさ)郡宮津町,天田(あまだ)郡上豊富村に疎開した。第2次大戦後,室町小学校となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7145942