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相生町①
【あいおいちょう】


旧国名:摂津

(近世~近代)江戸期~昭和44年の町名。江戸期は大坂三郷北組のうち。寝屋川と鯰江(なまずえ)川に挾まれた京街道沿いの町で,京橋北詰の東方に位置する。はじめ街道の北側のみに町家があったことから京橋片原町と称し,東町と西町に分かれていた。元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,京橋片原東町の家数37軒・役数41,うち年寄と会所の無役分各1,年寄は久宝寺屋治左衛門,京橋片原西町の家数32軒・役数40,うち年寄と会所の無役分各1,年寄は銭屋甚兵衛。宝永5年空地南側への家屋建設が家数26軒・落札金高760両で許可され,地子銀免除,15か年の諸役免除,煮売屋や旅籠屋株の免許が行われた(大阪市史5)。「全志」3によれば煮売屋15株・旅籠屋12株という。同年,片側町から両側町になるに及んで相生東町・相生西町と改称。享保9年大坂の大火後,相生東町南側新町屋分西半分と相生西町南側新町屋分が火除地として収公された。代地は道頓堀川南側に与えられ,元相生町と称した。相生西町の西端,京橋北詰には川魚市場が置かれた。第1番に鯉,2番に鮒,3番にウナギと取引きされ,他の魚を経て最後にスッポンの取引きが行われたことから約束や仕事に遅れることを「すっぽんの間にも合わぬ」と言いならわしたという(摂津名所図会大成/浪速叢書12)。同市場は木津川三十間堀脇にあった雑喉場(ざこば)生魚問屋との取扱品をめぐる争論により,寛保元年に鯉・鮒・鱣の独占権を得たという(全志2)。明治2年北大組,同12年北区,同22年大阪市北区,昭和18年からは都島区の町名。明治5年相生東町と相生西町を合併し相生町と称す。同28年当町東端を始発駅とする浪速鉄道(現国鉄片町線)が開通。昭和20年の空襲で全焼したが,第2次大戦後はいちはやく復興した。昭和8年,一部を東区京橋前之町・京橋1~3丁目に編入。同44年,住居表示整備事業により片町1~2丁目となる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7147107