和泉町
【いずみまち】

旧国名:摂津
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は大坂三郷北組のうち。明治5年からは1~2丁目がある。江戸初期に山城国伏見の町人が移住し開発した地で,はじめ伏見和泉町と呼ばれていた(初発言上候帳面写/大阪市史5)。「久宝寺ばし東詰壱筋北の丁,おはらい筋より西へ」の町で(宝暦町鑑),元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によると家数14軒,役数28,うち無役数2(年寄・会所),年寄は鴻池屋治兵衛。当町には雪踏屋町の異名があるが,この名称の由来について「浪華百事談」は「和泉町には鴻池又右衛門,同新十郎などの金満家あるを以てかくいひ,尻に金があるといふことより,雪踏の名を呼びしとぞ」と記す。元和7年,鴻池家の始祖山中新六幸元の次男善兵衛秀成は当町で醸造業をはじめた。この和泉町鴻池家をつづけたのは3男又右衛門之政の家であった。明暦3年の新板大坂之図には「こうの池」と記されている。明治2年大阪東大組,同12年東区,同22年からは大阪市東区の町名。明治5年藤之森町と江戸町を編入。同28年,鴻池新十郎は当町で泉町銀行を開業,同33年同行は鴻池銀行に吸収合併された。世帯数・人口は大正9年411・1,869,昭和30年75・388,同50年76・280。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7147557 |