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山崎の渡し
【やまざきのわたし】


河陽の渡しともいった。淀川中流部にあった渡し。現在の三島郡島本町山崎と京都府八幡市橋本を結んでいた。山城盆地を流れた宇治・木津・桂川が大阪平野に出て合流し,淀川と名称をかえる狭隘部にあった。長さ3町余。河陽渡の名称は山崎にあった嵯峨天皇の離宮河陽宮にちなむ。「延喜式」に駅馬20匹と定められた山崎は,長岡京・平安京の外港で,山陽道・山陰道・南海道の結節点であった。古くは山崎橋があり,勢多・宇治両橋とともに古代の三大橋に数えられた。山崎橋は天平年間に行基が架橋したと伝え,仁明天皇の承和8年に洪水で流失,後年再架されたが,文徳天皇の嘉祥3年にまた断たれ,さらに架橋されたものの,後世は全く断絶した(府誌5)。その後の淀川両岸の連絡は,水無瀬川河口から桂川を渡り,小天橋とも呼ばれる中洲を歩き,別の渡船で宇治川・木津川の合流点付近を渡るルートとなった。このルートを橋本の渡しといい,山崎の渡しの再生したものと考えることができる。橋本の渡しは,やや下流部にあった高浜の渡しとともに西国街道と京街道を結ぶ渡しとして,近世においても重要交通路とされ,明治以降に受け継がれた。昭和37年まで島本町営の渡船が運航されたが,民営となってのち昭和39年に廃止された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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