相生町②
【あいおいちょう】

旧国名:摂津
(近世~近代)江戸期~現在の町名。明治中期~昭和6年は兵庫を冠称。江戸期は兵庫津岡方の1町。宇治川と旧湊川に挟まれた西国街道に沿った平野部に位置する。町名の由来は不詳だが,相生の松にちなんで発展を祈ってつけられたという説がある(西摂大観)。寛政5年の印形帳(兵庫岡方文書)に町名が見える。高は,明治2年26石余,同4年74石余(同前)。寛政8年兵庫津各町家数人数惣寄(神戸市文献史料)によれば,家数「合六軒。去年より三軒増。外ニ屋敷地五ケ所」とあり,人数26。明治2年の家数501(兵庫津中明細録/神戸市史資料2)。一膳飯屋・駄菓子店・木賃宿などが軒を連ねていたという(西摂大観)。明治5年神社調によると,湊川神社の氏子として相生町568戸とある。明治元年岡組,同5年兵庫1番組に属す。同7年組制を廃止。明治3年相生町が鉄道停車場と決まり,住民らの希望で兵庫・神戸の中間部(仲町部)の市街地造成が行われた。鉄道敷設に伴い福原遊郭が旧湊川沿いに移転,福原町となる。同7年鉄道開通。神戸駅や線路をまたぐ相生橋を設置。同12年神戸区,同22年神戸市,昭和6年同市湊東区,同20年同市生田区,同55年からは同市中央区に所属。明治12年相生橋東詰めに神戸警察署設置。同25年の戸数1,345・人口5,785。同27年地内は1~5丁目となる。同28年市役所所在地兵庫東川崎町1丁目の一部を編入。同32年十合呉服店(現そごう)が2丁目に開業,同38年神戸元町通5丁目に移転。同43年神戸電気鉄道(のち市電)が開業。同44年旧市庁舎に図書館開設。大正2年神戸電気鉄道楠公前~西柳原間が開通。同9年の世帯数1,093・人口5,279。同10年神戸商業会議所を東町へ,市立図書館を楠町7丁目の大倉山に移転。同11年市電大倉山~神戸駅前間が開通。昭和35年の世帯数937・人口3,830。同43年神戸高速鉄道が開通,近くに高速神戸駅が開設された。同55年一部が古湊通1~2丁目・中町通2~4丁目となり,東川崎町1~7丁目・多聞通1~6丁目・中町通1~4丁目・古湊通1~2丁目の各一部を編入。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7154963 |





