魚屋町①
【うおやまち】

旧国名:丹波
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は篠山(ささやま)城下11か町の1つ。明治12年~大正11年は篠山を冠称。城下町西北部の町並みで,東は下二階町,南は西町,ほかは武家屋敷に接する。町名は八上城下町より移す。町並みは東西に細長く,南側113間余,北側85間余,道幅3間半,東の下二階町との境に南方への通路があり,魚が棚と称し,北方への道を瓢箪町という。正徳年間の家数は南側23・北側18,五人組は8組,役家29(大郷帳)。享保15年には南側24戸,北側18戸(町並図)。寛延元年には南側25戸,北側16戸,西側6戸,ほかに借家8戸で,計55戸(町並図)。北側町並み中ほどに町修験道の善法院,最西端に八上城下より慶長15年に移建した西山浄土宗清浄山誓願寺がある。同寺の開山は足利義輝の遺児と称する天誉覚山上人,開基は波多野秀治の重臣渋谷伯耆守・喜多川壱岐守の両家といわれ,本尊阿弥陀座像は畑三岳より移したと伝える。氏神春日神社へは,貞享4年の再建にあたって銀176匁を寄進し,引き鉾山を奉納。また明治3年に蘇鉄山を奉納。同16年の家数55・人口211。同22年篠山町に所属。世帯数・人口は,昭和10年55・269,同29年70・324(篠山町七十五年史)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7155991 |





