上原田
【かみはらだ】

旧国名:播磨
天川中流右岸。付近一帯は小松の密生する原野で原田といい,当地が原田のうちで北方の部分にあったために上原田と名づけられた。奈良期の上原田廃寺跡がある。当地にもと仏陀山乗福寺があり,聖徳太子の命によって恵慈が開創し,のち推古天皇33年に恵灌・恵是によって再興された天台宗の寺院であったが,文亀元年浄土真宗に改宗し,寺号も応星山超正寺と改められた。字仁王田の板碑は地蔵像を陽彫し「永正十一年甲戌年二月時正」の銘がある。戦国末期には上原田構居があり原田兵庫が構主であったが,羽柴秀吉の御着城攻めで退転した(花田史誌)。
【上原田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上原田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7157306 |





