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河呂
【こうろ】


旧国名:播磨

古くは川呂と書いた(正保郷帳)。千種(ちくさ)川上流域。地名の由来は,往古川が伏流し大小の岩石がごろごろとした石河原が続いていたことによるという。板馬見(いたばみ)山には役行者が開山したといわれる48の行場があり,位多場御山とも書き,行者山・後山ともいう。この渓谷には鑪場跡があり,鉄滓が十数m堰堤のように層をなしている所がある。字宝谷の鍛冶屋敷には十数軒の鍛冶屋があったと伝える。字山田に農村歌舞伎舞台がある。当地の西側に千種富士ともいわれる笛石山がそびえる。天正8年5月長水が落城し,秀吉軍に追われ当地に落ちてきた宇野政頼の一族が,三男の作州大原城主新免宗定を頼って落ちのびようとしたが,洪水のため渡河することができなかった。新免の家臣が大岩の上で援軍がひかえていることを知らせようとして吹いた笛声を,前面にも敵が待機していると誤認,秀吉軍の中をかけ抜け,遂に千草の大寺で自刃した。それ以後この山を笛石山と呼ぶようになったと伝える。
河呂村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
河呂(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7158339