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鳥飼下村
【とりかいしもむら】


旧国名:淡路

(近世)江戸期~明治10年の村名。淡路島西部,播磨灘に面する鳥飼川河口両岸,南北は丘陵。北丘陵の西海岸に天然の良港船瀬浜,南丘陵の西海岸に国立公園の名勝五色浜がある。五色浜は赤崖の第三紀層の岩石が波浪によって砕かれ,磨かれ,5色の色が作られた。船瀬浜には仏寺で使用したという湧水阿伽水がある。また,船瀬近くの岡田は古城跡というが不詳。元和元年からは阿波国徳島藩領。村高は,「郷帳下書」644石余,「天保郷帳」957石余,「旧高旧領」1,204石余。寛永4年の検地帳によると反別63町余,高725石余。「味地草」では高1,197石余,家数261。津名郡戸数反別取調帳によれば,反別92町余,高1,197石余で約3分の2は藩直轄領,家数261・人数932(五色町史)。淡路四国34番霊場五色山明法寺は,延命長寿,厄除けの寺,ぽっくり寺として知られる。海岸近くには信濃国善光寺の仏像が流れ着きそれを祀ったという善光寺,源平合戦の平家方の武将斉藤実盛を祀った虫除け・豊作成就の実盛神社,鳥飼川口の薬師堂,明法寺西に地蔵堂,仏崎に地蔵祠,三ノ越地蔵堂,鈴声寺旧跡,大歳祠,蛭児祠などがある。浪人斉藤兵衛は豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍,戦利品として朝鮮から貴婦人を連れ帰り,弟の養子の嫁とした。のち,斉藤家は当村の庄屋,さらに,鳥飼組の組頭庄屋として活躍。4代斉藤久兵衛は松帆村の地引網が漁場を侵すので,奥ノ内に隠居して開拓をしたという。明治10年鳥飼浦と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7161209