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東魚町
【ひがしうおまち】


旧国名:播磨

(近世~近代)江戸期~昭和56年の町名。江戸期は姫路城下の1町。町人地。明治初年~明治22年は姫路を冠称。姫路城の南東,内京口門と惣社門の間の濠沿い,南北の町筋。元和年間頃の姫路城下図(多木文化振興会蔵)には本魚町と見える。天和姫路城下図(中田家蔵)では当町名を記す。「播陽事始考」には東の魚町はすべて魚の店であると見える(播陽万宝智恵袋)。廃藩後は魚商・料理屋・茶屋等は,漸次姿を消す。元文5年の家数43,地子銀631匁(穂積家文書)。文政5年藩主酒井忠実は,学問所を設け,高浜省輔らに教授を命じ,町民の子弟に素読を教えたが翌年廃した(姫路城史)。真宗大谷派円證寺は約500年前の創建。明治14年の戸数40・人口175,宅地2,821坪(播磨国地種便覧)。同22年姫路市に所属。大正元年の戸数74(姫路紀要)。世帯数・人口は,昭和2年67・311,同35年47・192。同56年区画整理により坂田町・大黒壱丁町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7162609