安場村
【やすばむら】

旧国名:摂津
(近世)江戸期~明治18年の村名。摂津国川辺郡のうち。武庫川支流荒神川中流右岸。有馬街道沿いに当たる。地名の由来は,野洲・谷洲・夜須場とも書き,当地が川面神社の上手にあり,往古住人が当地に集まり祭りの行事などを行う,いこいの場所であったことによるものと思われる(宝塚の風土記)。はじめ幕府領,貞享3年武蔵国忍藩領,文政6年幕府領,同10年からは一橋家領。村高は,「摂津高改帳」26石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに66石余。宝暦10年の家数63・人数305,作付は田のうち9割稲作・1割綿作,畑のうち6割綿作・4割雑事作。文政10年の家数70・人数271,牛8,酒造株2・1,360石(宝塚市史)。明治18年川面村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7164538 |





