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和池
【わち】


旧国名:但馬

瀞川山の東麓に位置する。地名の由来は,「七味叢誌」に「当地の上なる山に大池有りて数年大蛇栖み凄まじく漣立ちければ住人怪怖れて通行せず,兎塚殿の命に依って,山伏快遍と言う者,祈祷を行い,池鎮水の神と祝い籠め祀りたれば忽ち池も静まり住人も往来す。依って是より地名を和ぐ池と書いて和池と言う」とある。真言宗安養寺は,鎌倉期小代荘および二方郡寺木荘の公文八木七郎高茂入道が開基。同寺境内には兎塚殿の古墟があり,天平年間当地に配流された西殿(兎塚殿)と山伏快遍の庵跡である。また,境内の稲荷社は西殿を当地へ導いた斑狐を祀り,西氏は稲荷大明神と称して鎮守とした。西殿はその後の勤功により配流の罪を免れたという(増補七美郡誌稿)。西氏は山名氏に仕え付近4か村の給人となったが,裔孫西石見守家則,家景父子が天正8年討死して断絶。西殿治長とその孫西国当等が開基した6坊が当村と森脇村にあった。当地には上の坊上池院蓮華寺・観音院宗福寺・北の坊治長院・上の坊具足軒・下の坊文珠寺の5坊と,森脇村に阿弥陀寺があり,同村の東楽寺とともに兎束殿およびその後裔の隆盛を示す。これらは天文年間の戦火でことごとく失われた。十石ケ原は瀞川山中腹の原野で,土質は焼土であるが,往古から粟・稗・小豆などが育ち,いずれも10石は収穫できることから十石ケ原の名があるという。また,原野に大石が点在するのは,太古神を祀ったかがり火の跡とする説もある。
和地村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
和池(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7165102